五の章  さくら
 (お侍 extra)
 



     鬼 火 〜その二




 戦さも終わって十数年はのちの世に。誰がつけたか“褐白金紅”という仇名が通り名となり、昨今では有名にもなりつつある、侍二人の賞金稼ぎ。片やは金髪痩躯で玲瓏透徹、どこか冷たい風貌の寡黙な若いのと、もう片やは蓬髪伸ばして屈強精悍、重厚な押し出しの温厚そうな壮年殿というから、どこもかしこも正反対な、されど双方ともになかなかな男っぷりの二人連れ。元はといやあ湯治が目的だったはずが、この頃ではその類い希なる腕っ節をこそ請われての、賞金稼ぎや野伏せり退治をと招かれる、勇ましいばかりな道行きとばかりなりつつあって。そういう輩が潜む先の相場でもあり、さしてにぎやかな土地は巡らぬものが、それでも時折、品よく器量よく気立ても良い、水蜜桃のようにまろやかな色香をたたえた上臈による、暖かで華やいだもてなしを受ける機会がごくごく稀にあったりもする。昔は大きな町でそちらの商売をしてでもいたか、はたまた軍属家系のお偉いさんの囲い者でもあったのが、時代の流れに紛れ、静かなところを求めての流れ来たそれか。何でこんな辺境におわすかと、首を傾げたくなるような美形、水脈の尾を引くよな薫香かぐわしき、それは魅力的で蠱惑な女性
(にょしょう)の存在へ対すとあって。日頃 寡欲な壮年殿までもが なびかぬかと危惧したり、はたまた、このところ結構 悋気立つよになったそれが高まったりするよりも、

  ―― それらを大きく飛び越してのこと

 例えば、上臈殿の金欄綺羅らかな緞子の打ち掛けなぞなぞから、あのお人の見事だった金絲に縁取られた面影でも想起するものか。甘酸い果実のような馥郁とした香りに、暖かで優しかった懐ろの温みが蘇っての恋しくなるか。急に…里に待つ誰か様のことを思い出し、寂しそうなお顔をする久蔵殿であったりし。

 『そうまで愛しい想い人が お有りでありんすか?』
 『……………。(…頷)』

 確かに嫋やかなお人ではあったれど、かといって女性のようななよついた姿や所作はしておらず。爽健で凛々しい男ぶりの、むしろ二枚目にあたろう彼だのに。その物腰の柔らかさや細かいところへも気のつく働き者なところ、そしてそれらが長じての、何でも受け止めてくれよう懐ろ深くも優しきところへの、印象が強いのは否めない。そんな七郎次を恋しいと思うのだろう、一気に消沈してしまう久蔵の様子を察してか。では久々に戻ろうかと、勘兵衛から言うてくれるほどだというに。その想われびとの方は、はてさてどのくらい、この思い入れを判ってくれているものか…。





  ◇  ◇  ◇



 虹雅渓最下層の遊里にして、不夜城とさえ謳われる“癒しの里”でさえ寝静まっていたほどの。夜半遅くの静けさを打ち破り、荒ぶる気勢がどっとなだれ込んで来たのが判る。さすがに鬨
(とき)の声こそ上げてはないが、気勢に煽られての ともすれば半分正気が飛んでる状態の者も多かろうことは容易く見て取れて。よって、そこいらで肩張ってる地回りどもと変わらぬ扱いで構わぬだろと。隠し持ったる秘技や固い信念、ほころびはせぬ結束などなどへの警戒は要らぬよという、壮年からの助言があったのへは、久蔵もまた得心がいく。

 「……。」

 頭上から煌々と降りそそぐは、月蛾の齎
(もたら)す光の雨。浴びた者は皆、褪めた青の紗をかぶり、冬の夜陰へ塗り込められる。階層それぞれの屋根へ葺(ふ)かれた何層かの瓦屋根が、大時代の天守閣のように見えなくもない“蛍屋”の店構え。その最も高い屋根の尾根、屋号を描いた大行灯の傍らに、よくよく見やれば人影がある。やはり月光に青く濡れそぼち、景色の中へ埋没しかかっている存在だが。そんな場所にすっくとばかり、胸張り、立っていられること自体、まずは有り得ぬ奇跡でもあるが故。見上げた者がいたとしても、なかなか気がつくもんじゃなし。気がついたとて、その真の正体までもを、知る者はまずいなかろう。風を撒いて飛翔し、あり得ぬ高さの虚空を躍るその姿、一度たりとも見た者は、そのままそこで息絶えたものだったから。

  ―― 戦さ場では“死蝶”と、死を告げる紅胡蝶と呼ばれてた。

 とにかく寡黙で、愛想がなくて、表情薄く冷静沈着。傲慢さから取り澄ましているのではなく、関心のあるものが異様に限られているってだけ。それへの執着が途轍もなく深い分、他へは全く目もくれないという、そりゃあ偏った価値観が、なかなか均されずにいる彼で。禁忌というのは、欲を抑圧して律することで、寡欲を指す言葉じゃない。

  ―― だとすれば、この彼はどちらにあたるのだろか?

 刀を抜いたら迷いはしない。たとえ退路を断たれても、最初に向かいし目的へと達し、凌駕を果たすまでは振り返らないことを優先し通す。それほどまでに潔い反面、これという対象へは妄執と呼んでもいいほどの固執を持つ以上、お堅くも清廉な求道者とは言いがたく。それ以外へは何ら関心を持たぬところは、彼をして“禁忌”というより“寡欲”と評す他はないが、先には奈落が待ち受けるだけな虚空へ身を乗り出してでも、斬りたい対象をのみ追うのだろう、強固絶大な執着は確かに。偏ったそれではあれ、途轍もない貪欲さにまみれているとも言えて。

  『早く仕事を終えろ』

 刀さばきをと求められている場ではあるが、巧みさに酔うという旨みは欠片もない。気が遠くなるほどの雑魚の山を叩き落とすだけという、繁雑なばかりの最低最悪な“合戦”へ、それでもその身を投じたは、小さな村の危うい存亡を見かねたからじゃあない。そんな下らぬことを“先約”とした壮年の練達の、片棒かついでやったまで。その末には我がものとなれとしか、思っていなかったはずだのに。結句、取り込まれてしまったは どちらやら。その難儀な戦さが終わってもなお、相手を健在なままにしてのその傍らに居続けている彼であり。

 『今度は久蔵殿が待たせる番。
  焦らされた分も、う〜んと待たせておやんなさい。』

 そんな屈託のない言いようにて、こちらの焦燥なだめてはよしよしと、じゃらしもっての囁いてくれた優しい人に、これも絆
(ほだ)された結果なのだろか。
「…。」
 無論のこと、今はそんな瑣末なあれこれなぞ、意識のどこにもない。

 『お主は高みから全貌を見渡し、手ごわい一団を見定めて片っ端から叩いて参れ。』

 急な強襲ゆえのこと、詳細までもを打ち合わせる暇もないまま、それでもこちらの技量は買っての至って手短な手配をされた。自在に動いてよしという、久蔵の側からしてみれば 言わずもがなな指示であり。それへと続いた次の言いよう、
『店の者や客は七郎次が手際よく退避させておるだろうから、我らはそこまで意に介さずともよい。』
 こちらへも、何の反駁もないまま こくりと、無言のままに頷いている。聞きようによっては無責任な言い回しかもしれないが、それほどまでに…七郎次の手配に卒がないことを重々判っている彼らだからこそのもの。そんなこんなまで見通しているほどに用兵に長けた壮年は、自分も当然打って出るのか得物の大太刀は手元へ引き寄せてもいたけれど。それにしては着替えもしない寝間着のままでいて。手早く着替えたこちらが離れから飛び出すのを、そのまま黙して見送りかけたものが、
『…久蔵。』
 ふと、言い忘れたことがあるという口調で引き留めて。なんだと肩越し、鷹揚な振り返りようをしたこちらの影へ、
『言うまでもないことだが、店を壊したり汚したりは極力避けよ。』
『…。(頷)』
 承知と頷首したのが小半時ほど前のこと。そして…今は此処にいる。質より量という手合いにまとわりつかれる、繁雑なばかりの仕合いや合戦は、これからもこのように縁が多くなるに違いない。だが、それもまた仕方がないのかもしれない。威信をかけて、矜持をかけて、命をも懸けてと構えられるほど大掛かりな戦さは、もはや終わって跡形もなく。生き残った練達らは、地上に降りたそのまま、散り散りになってしまって幾久しい折。そんな中の一人と巡り会えた僥倖は、だが、立ち会いしたいほど本物の剣豪が、なのに味方という微妙な皮肉を久蔵へと齎して。この邂逅、喜ぶべきかそれとも…。

 「本隊は、裏木戸から、か。」

 最も頭数が多そうな一団が、表からの先陣より少し遅れて突入して来るのを見据えると、その痩躯を闇へと躍らせる。深紅の衣紋が風をはらんで、ばっさと大きくひるがえり。沈んだ色合いの輪郭を、あっと言う間に闇へと溶かした。





        ◇



 夜中だというのに、カラスか何か、頭上の夜空を翔った気配があって。こっちも灯火を灯す金さえ乏しい身だからか夜目も利き、それでと気がついたそのまま“?”と小首を傾げた者が幾たりかあったが、
「おいっ、何を呆気てやがるっ。」
 さりとて目前の離れに灯された明かりの方が重要と、急造の仲間うちがつつくのに促され、示し合わせて…裏口から忍び込む。明かりが灯されたということは、今の今、起きた者があったということ。こちらは母屋と違い、せいぜい二間ほどの作りの離れだと聞いているから、外からの気配も筒抜けなのには違いなく。だけれど、こうまで速やかな反応を見せるとはと、一応は用心しての忍び足。
「他の離れは無人だったのだがな。」
「人がいた気配はあったが、さては逃げ足の速いアキンドが泊まってでもおったのか。」
 先見の明といや聞こえは良いが、これはいかんと見切ったら最後、成り振り構わず逃げ出すのが目の利くアキンドなんだとサと。そうやってあの大戦をまんまと生き残って、戦時中から伝手のあったアキンドのところへ身を寄せた上官の話、そのまんま聞かせたのは、無精髭の青黒い顎をした浪人で。丹精された中庭の一番奥向き、最も大きめの離れは、特別な客にしか使わせないと、出入りの庭師の下働きを安酒で酔い潰させて聞き出した。店にとっての大事な客なら、きっと小金持ちのお大尽だ。そうでないなら、ここの女将に恩か縁でもあるお人かも。今は手持ちが無なくたって、女将の前へかざしゃあそれに見合った金子は出すだろと。取らぬタヌキの皮算用を腹の中にて組み立てながら。
「静かに、静かに。」
 息をひそめての忍び込み。小あがりの奥、庭に面した畳の間へと踏み込むと。二組の夜具の向こう、飾棚のある壁を背に、誰ぞが片膝立てて座しているのが、襦袢をかけて光を絞った行灯の明かりの傍らに浮いて見えた。夜着なのだろう白い小袖のみという軽装であり、肩より長く延ばした深色の蓬髪が、顔へと濃い影を落としているので、若いか年寄りかさえ断じかね。ごつごつとした柄の大きな太刀を斜めに肩へと立て掛けているところが武装といやあ武装ではあろうけど、それにしては…さしたる覇気は伺えない。寸が足りぬか、小袖からはみ出すように覗く手足の先が、骨張っての節槫立ってて大ぶりで。上背があろうこととともに、結構な年寄りかもということをも想起させ。

 「お主、侍かとお見受けするが。」

 一団の先頭を預かっていた青ひげが、いささか仰々しい聞き方を差し向ければ。

 「いかにも。」

 それは響きのいい、深みのある声での返答が返って来た。室内の薄闇へまでじわじわと、その物腰や人性の落ち着きが滲み出すような、重厚で趣き深い声であり。若々しいそれとは言いがたい、やや枯れたそれではあったが。なればこそ もののふとしての練達で、しかも思考に芯なり筋なりが通っていそうな男であることをも偲ばせる。アキンドじゃないならば、こっちの構えも多少は変えねばならぬかとでも思ったらしく、

 「ならば、邪魔だては致すな。」
 「さようさ、これは侍の地位復権のための戦さ。商人へ追従する罰当たりへの見せしめの…」

 自分らの行為を今になって正当化したいか、そんな風に矢継ぎ早に言いかかるのを遮って。

  「馬鹿を申せ。ただの押し込みであろうが。」

 唯一 何とか見えていた口許が、何とも強かで味のある、不敵な笑みを滲ませる。最初からのずっと、身動きひとつしていない相手だというのに。その笑みたった一つの変化が、どうしてだろうか居合わせた賊ども全員の背条を凍らせたのだった。





        ◇



 遊里だの不夜城だの、夜こそ生活の場のように言われてもいる里ではあるが、だからと言って此処の住人が皆が皆、闇を恐れない訳じゃあない。潤沢な金で明々と灯を燈し、真夜中さえ真昼で塗り潰しての買い上げる、粋なお大尽らが集う里だというだけの話。びろうどみたいに密度の高い闇や、若しくは生気の閑散としていて物寂しい夜陰の帳は、何も見えぬが恐ろしく、ただただ人の神経を逆撫でするもの。虚無にも等しき闇の向こうに何が潜むか、落ち着いてまさぐることが日々のならいだった野営地での夜警を、暑かろうと寒かろうと幾夜も繰り返したこの身には、むしろ懐かしいくらいのことだけれどと思いつつ、

 “思い当たる心当たりとやらは、有ると言やあるし 無いと言やない。”

 ぴっちり結った金の髪を凍月につややかに光らせて。ぼんやりと想いを巡らせる七郎次だったりし。その筆頭は、何と言っても例のアレ。乗り込んで来た連中は、武装と手際から、浪人崩れの面々であるらしく、ならば、天主殺しの張本人たちをねらう理由も大有りには違いない。彼らが糧となる職を割り振ってくれていた存在だった、表向きにも待望の新星、彼らには大恩ある若き指導者…だったのだから。その夭折を悼んでの仇を討ってやったって訝
(おか)しかなかろう。だが、その張本人が自分らだとまで、彼らに果たして判るだろうか。右京が手駒にと直接使っていた手の者は、皮肉にも彼が最も忌み嫌っていた機巧躯の侍崩れという手合いが大半だった。よって、コトの顛末を、この虹雅渓から出てはない彼らが知る由はなく。
“やはり、単なる八つ当たりからの狼藉。お大尽への腹いせを兼ねた、単なる泥棒ってトコだろうな。”
 などなどと考えていたところへ、
「…っ。」
 間合いの先に不意に沸き立った殺気に気づくと、思考を寸断してその身を撥ねさせる。肩口へと指し渡していたのは朱柄の長槍。此処でこうまでの武装をしていたところ、これまでは一度もなかったものだから、お勝手、調理場へと押し込めた店の者の中には、

 『シチさん、本当に大丈夫なのかい?』
 『お座敷で踊ってたのとは勝手も違おうに。』

 真剣本気で案じてくれた、お運びの女中さんたちもいたほどで。それへとやんわり、いつものあでやかな笑みを見せてから、さあさお前さんたちは奥へと促す雪乃に任せ、こうして外での張り番を続けてる。姿も所作も口利きも、すっかり遊里に染まった伊達男…の筈が、そういや時折 真摯なお顔を見せてもいた彼だというの、知っているのは雪乃だけ。現実を知らぬ者の、威勢だけの無謀や向こう見ずとは格の違う、本気で命をやり取りした修羅場に立ったからこその厚みのある本気を知っている。大切な人、目の前でさんざ亡くした辛酸を舐めて来たからこそ、叩き上げられて身についた、逞しくも強かな芯があってこその余裕の微笑を頬へと浮かべ、

 「此処から先へは行かせない。」

 お勝手との連絡になっている渡り廊下の出入りのあたり。屋根の途切れたすんでへまでへと進み出ると、全く潜ませてなどいない足音や武装の鞘同士が当たる音、果ては今にも切れそうな息の根までもを響かせて、こちらへどっと突っ込んでくる、有象無象を一手に迎え撃つ彼であり。

 「ぐぉ…っ!」
 「が…っ。」

 二の腕や脇に、みぞおちや脾腹へ。突き刺さぬだけでもありがたく思えとの容赦なく、刃のない石突きの方にて左右に薙ぎ分けての叩き払っては、そらそらと畳んでゆく手際のまあまあ鮮やかなこと鮮やかなこと。得物に頼るばかりではなく、数人がかりで飛び掛ってこられても、それは軽やかに地を蹴っての身をひるがえす体捌きは、羽織の裳裾をひらめかす優美な姿とあいまって、まるで天人の見せる舞いのようでもあり、
「くっ。」
「あの幇間、只者じゃねぇぞ。」
 こちらを見やる手勢の中には、重々しい鋼の腕をした顔触れも幾たりかほどは混じっちゃあいるらしかったけれど、それだとしても…自己流の機巧化をなしていた菊千代にも満たぬ級のもの。綾磨呂配下の用心棒らがそうだったような、義手や装具どまりな機巧を腕や足などへ施している程度のそれ止まりで、甲足軽
(ミミズク)だの重機兵だの、はたまた乗り物でもある鋼筒(ヤカン)だのという、本格的な装備の野伏せり崩れは見受けられないのが大きに助かる。

 “もっとも、そちらの級の相手へだって、怯むような身じゃあないけれど。”

 数カ月経ったとはいえ、すぐそこに死への顎
(あぎと)が口を開けていよう殺し合いの只中にも、こちとら立っていての生き残った身だ。ふふんと微笑った口許に、我知らずの昏い笑みが浮かんだ七郎次であり、その陰惨な凄みへと、大外にいた居残りの手合いがぞっとして思わず立ちすくんだほど。そこへ、

 「七郎次っ。」

 横手にあたる中庭を突っ切って来たらしき、白い衣紋の姿が見えて。さすがに着替えたらしい勘兵衛の姿を視野に収めたその途端、こやつらの正体や思惑を、あれこれと考えていた自分が無駄なことをしているような気がしての苦笑をこぼす。状況を把握するに越したことはないけれど、今の今はこの騒動自体を収めるのが先だ。どんな事情があったとて、無法は無法なんだから遠慮斟酌の必要はないのだし。そんなことより何よりも、

 “いつだって考えるのは勘兵衛様の仕事…でしたよね。”

 昔からそうだったから、今でも頭や気持ちがそうと切り替わってしまう容易さよ。自分の裁量での立ち回りも十分こなせるけれど、この御主がいるなら、自分はあくまでも単なる駒だ。戦いやすいようにという、用兵上での露払い以上の先走りをしてはならぬ。柔順な狛でいなければという刷り込みが、今なお この身を律するあたり、これはもはや本能に近い代物なのかも。よって、客と紛れての外へまで、逃げていただいてもよかったのになどという、下らぬ減らず口は一切利かず、

 「手代の若い衆を警邏隊の出張所へと向かわせました。」
 「うむ。」

 こちらの状況は予測のうちだったのか、七郎次が立つ向背、厨房の小屋を見やった勘兵衛は、それ以上の何を訊くでもなく。意識をなくして転がる賊らの成れの果てをざっと目視で数えると、
「此処は任せた。」
 手短に言って早くもその身をひるがえしかかる。
「勘兵衛様は?」
「表へ向かう。」
 ここにこれだけが倒れておるなら、残りはもはやそうまでの手勢とも思えぬが。
「裏木戸から侵入した主力の口が、思わぬ手合いの妨害にあっての さして入り込めぬままだからな。」
 言わずもがな、久蔵が掃討に回っているからだろう。だとすればそこいらの浪人で歯が立つはずもなく、業を煮やした取りこぼしが諦め切れずにこちらを襲うやもしれぬと案じた模様。表の大戸や前庭への用心が要るだろからと、今からそちらへ向かう勘兵衛であるらしく、
「お主は此処を離れるな。」
「ですが…。」
 御主が頼りにならぬとは言わぬ。だがだが自分も並んで戦いたいと、そのお傍にあってこその機転を利かせたいとの申し出を、言いつつその後へと続きかかった彼へと向けて、

 「七郎次っ。」

 鋭い声が飛んだのへ。ついのこととて ハッとして足が止まる。手を貸せとか、呼吸を合わせよとかいう呼びかけではないと。そんな意志までが届いての…思わずのこと、それまであれほど躍動していたその身が竦んだせい。先に立つ御主を見やれば、乏しい明かりのその中で、白い上着に包まれた肩越し、こちらを見やるは突き放すような冷然とした眼差しで。その表情が語っていたのはただ一つだけ。


  ―― お主は手を出すな。


 「どうしてです?」

 咄嗟に問うていたのもまた無理はない。だが、勘兵衛が危惧したらしいことも何とはなく判らぬではない。このような商いに、恐持てのする人間がいると広まれば支障も出よう。それを利用したいならともかく、ここの女将である雪乃は、そういう力づくの不細工なやりようは嫌がるお人。そこまでを察しての配慮であり、

 「のちのちにも儂らとは関わりなしと言い切るためだ。」
 「…っ!」

 そのためには、自分らと口さえ利かぬ方がよいと。そんな態度を示すべく、きっぱり背を向けた勘兵衛であるらしく。
「…それは命令でしょうか。」
 ならば、もはや聞けぬと突っぱねようもあろうと思うた、どこか堅い訊きようへ、
「……そうさな。」
 かすかに頭が下がったのが背後からも伺えたのは、視線を下げての考えを巡らせたからか。迷った御主であるならばまだ、掴まる瀬もありかと思うた矢先、
「もはや命じる立場には無かったな。では、仲間として戦うか、此処に居残ることを考慮して守りに徹するかは。」
 すらすらと並べた言いようの末が、

 「お主自身が選べばよい。」
 「……あ。」

 即妙な言いようは端としていたが。それだけに、自分もまた決意せねばならぬという自覚を強く突き付けられたような気がした。此処に居残ることを考慮して…という言い回しをわざわざ持ち出したからには、今のこの場のことのみにはあらず。

 “私は…。”

 発ってゆくのだろう彼らを此処で待つものか、それとも自分も…? 勘兵衛からの命令や依頼ではなくの、自身で決めよと御主は言うているのだと気がついた。どこか不安げにしている久蔵を見守るだけで精一杯だった、それで十分だろうと落ち着き払っていたものを。もっと先の、もっと奥深き、こうまでもキツイ選択を、こんな最中の今、きっちり決めよと申される。言を左右できぬ場として“今”を選ばれたというのなら、相変わらず容赦のないお人だと感じ入り、


 「…待っておれば、必ず戻って来てくださりますか?」
 「ああ。」
 「必ず?」
 「二言はない。」
 「では…。」


 見上げた天穹には望月だけが、寒々と凍る夜空に浮かんでおり。みぞれに埋まった池にでも、ぷちゃりと落ちたよに見えもして。頬をなぶる夜寒の風が、かすかに甘い香がしたにもかかわらず、かつての戦さ場で触れた、どこか殺伐としたそれと変わりない冷たさに思えてしまった七郎次であったのだった。



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  *ウチの勘兵衛様も結構つれないお人です。
   つか、厳しいところは断固としてきっちりと…と、思い切らせるような人。
   こういうところへ妥協を知らない辺り、
   妙な偏りで不器用な人なんですね、うんうん。
(苦笑)

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